【ろくでなし子裁判】スプツニ子!さん「芸術家にとって『女性器を使うな』は『この色を使うな』と同じ
「芸術家にとって、女性器をテーマとして扱うなと言われることは、「この絵の具の色を使うな」と言われるようなものです。それは、「この絵の具の色は使ってはならない」と言われたまま、絵を描き続けなくてはならないのとすごく近い。
女性器は、色々なもののシンボルとされています(男性器もそうですが)。ジェンダーの違いを表すシンボルとして、何かものが生まれてくる場所として、それを形として使えないままというのはおかしい。」
スプツニ子!の言いたい上記の内容はアートに興味のない人にはピンと来ない話かもしれない。
私も制作しているけど、ジェンダーをテーマにしてないので、「この色(=女性器)を使うな」と言われても別に困らない。
だけど、その色があることを知っていて、どうしてもこの画面(表現)にはこの色じゃないとしっくりこないんだ!と思い入れがあるものを表現して発表して猥褻物陳列で逮捕されたら、私も理解が得られるまで闘うかもしれない。
・・・いや、闘わないな。
「あ、はい。すいません。変な物作って。私がバカでした」とか言って撤収して、あとで誰かに「こんなこともできないなんて日本はクソだな。どいつもこいつもわかってない!」とか言う。
多分殆どの人がそう。
だから、今回ろくでなし子に加勢したスプツニ子!は偉い。
大人だから、私も自分が「違う!」と思ったことに対して、理路整然と闘いたいけど、根が感覚派でフワッと雰囲気で生きてるから、咄嗟に「これこれこうでおかしいだろ!」と出てこない。
スプツニ子!はゴリゴリの理系女子だから、闘い方が理屈でねじ伏せてくるようなやり方だ。
割と、絵を描く人って大人しい人が多いので(実際はもの凄く気が強いのに、一見そう見えないからつけ込まれるようなタイプ)世間に潰されがちというか、本人の気質もメランコリックな人が多い気がする。
以前、バンドをやってる人とつき合っていた友人がその男と別れた後、絵を描く知人たちを家に招いたところ、その家のお母さんに「絵を描く子って、バンドやってる人と違って騒がないのね」と目を輝かせて言われた。お母さんのお手伝いもするしね。
ただ、社会においての「困ったちゃん度」で言うと
小説家>バンドマン>アーティスト>漫画家>役者>音楽家
のような順番であまり大差ないように感じる。
子どもの頃から基礎を叩き込まれ、厳しいレッスンに耐えて声楽とかピアノとかの音楽活動をしている人が一番礼儀正しいと思う。
芸大生の花見に呼ばれて行った時、チンドン屋みたいな油絵科の知人たちに混じって、新作のバーバリーのワンピースを着て背筋を伸ばして正座をしている女の子がいた。
明らかに異彩を放っていたその子は音楽学部のバイオリン科の生徒だった。
育ちが違うっていうのもあるんだけど、クラッシックを叩き込まれた人と既成概念を壊して新しい物を作るのを目指している人の違いを感じた。
話がズレたけど、コンセプチャルアートをやってる人は既成概念と闘い続ける宿命にあるんだなぁ、と思った記事でした。