引きこもれない。

新型コロナが流行る前だったからいいけど、12月半ばに肺炎になった。
介護等体験に行き、その帰りに飛行機に乗ってスクーリングに行って、鳥取に帰って職場に行ったら、息をするだけで肺が痛くなって「ヤバイ!」と思って病院に行ってCT撮ったら肺炎になってた。
※新型コロナとかマイコプラズマではない。

通信で教職と学芸員資格を取ろうとしていて、レポート提出だけじゃなくて、スクーリングや実習、実技、試験があって暫く忙しかった。
子育てもあるし。
というか、子育て中でフルタイムで働けないから、その間に通信で資格を取ろう!と思ったのだが、親には「果たして、そこまでする必要があるのか・・・」と云われた。
実際やってみて、感じたのは「大人になってから勉強する人の方が熱心だ」ということ(私は資格取得という目的があるけど、他の人は純粋に勉強したい人が多い)。
今、社会人の学び直しとかスキルアップのために朝活とかする人がいるけど、自分が学びたいという意欲が一番大事なんだな、と思った。
そして、レポートが通らないとか、試験に合格しないとか、地方に住んでいるとスクーリングに行くのが大変だとか、色々くじけそうになる度、東進の林先生の「勉強が嫌ならやめればいい。勉強なんて贅沢なんだから」という言葉を思い出して、自分がやろうと決めたんだからやり遂げようと思った。
(しかし、来年度は休学するので、卒業はまだ先)
何度も、やろうと思っていたんだけど、なかなか踏み出せなくて(やる気の問題ではなく、仕事の都合とかタイミングが合わなかった)グズグズしてたけど、やるって決めたら、全てがトントン拍子に揃った。
東京に行った時、昔のバイト先に飲みに行ってマスターに通信のスクーリングで来てると行ったら、じゃあうちの1階に空き部屋があるから、そこ使っていいよ、と云われ(マスターとママさんが大家でアパートを一棟持っていた)宿まで確保できた。素晴らしい。

私は高3~浪人中にかけて、今思うと抑うつ状態のようになったことがあり、勉強してもデッサンしても何故か成績が上がらなかった。
学校や予備校には行けてたから、重度ではなかったのだろうけど、人と喋りたくない(でも、頭の中では喋ってる)、学校に行くだけで精一杯、もうとにかく耐えればなんとかなると思い込んでいた。
その時は小説家の三田誠広さんが学校に行かなくなった時があって、その時のことを書いてた本に「学校なんて所詮箱庭です」と書かれていて(世界は広い、みたいな意味だったと思う)、それを心の支えにしていた。
浪人の途中で、真面目にやってもテキトーにやっても一緒じゃん、と思って演劇観に行ったり、美術館に行ったりし出してから元気になって、予備校も変えたら集中できるようになってなんとか大学に行けた。
その後、大学院に行きたかったけど、親に経済的負担をこれ以上かけられないから行けなかった。その時、同級生が「院に行くより、浪人中の方が勉強になったから(大学院は)いい」と云ってて、私もなんとなく諦めがついた。
ただ、未だに浪人中の夢をみたり、京芸の通信だったら院の資格が取れたのか(私はムサビ)と思ったりするので、今やってる勉強が私にとっての大学院だと思うようにしている。
大学に行ってた時は講義を聴いてれば単位が取れたけど、今回は自分で調べたり読んだりしなくちゃいけないので、身につくのはこっちの方かもしれない。

自分の勉強も大事なんだけど、子どももそろそろ勉強させるかなーと思って3才と2才の子にはドリルを買って保育園から帰ったらやらせていたんだけど、限界を感じ(家にはお菓子やDVDなど誘惑が多すぎる。他人に教えている時はイライラしないのに、我が子に教えていると「なんでこんなこともわからないのか」とイライラしてくる)公文に入れることにした。
あと、ピアノとバレエを習わせたい。
それは、そっくりそのまま自分が幼少期にやりかったことだ。
習い事や塾に行きたいと云っても行かせてもらえず(旅行とか外食はしていたから、貧しかったわけでもないのに)、両親は20時頃に帰ってくるから勉強をみてもらったこともないし。
だから、子どもとカルタみたいな教材で遊んだり、アップルパイを焼いてあげたりしていると「うちの親はこんなことしてくれなかった」と淡い怒りと悲しみが湧いてくる(だから、恵まれている我が子が憎い、とかは思わないんだけど)。
別に毒親育ちでもない私ですら、そう思うんだから虐待とかネグレクトとかに遭っていたら、子育て中もフラッシュバックしてきて苦しむんだろうな。
私がイライラするのは、真ん中の子が飲み込みが早くてなんでもできるのに(保育園の先生も賢いと褒める)、長女がなかなかできないので、バカなのか・・・?と思ったりするからもある。
(多分、普通なんだけど)
第1子妊娠中は仕事も家庭もほんとーに辛くて(義親と同居だけでなく、義妹家族までいた)、車の運転も始めたばかりで「心配だから早く帰ってこい」と夫に云われていて自由がなかったから、全てを捨ててどこかへ行きたいと思っていた。
産んだ後も誰も助けてくれなくて、ワンオペ&女中扱いだったので、今でも恨みに思っている。
第2子妊娠発覚時に「このままではいかん!」と思って、義妹家族を追い出した。
義親と義妹夫婦には悪者にされたけど、自分が子どもを育てやすくするのが一番大事だから、どう思われてもいい。
子育てカウンセラーに話したら「わけのわからん屁理屈をこねて、共通の敵を作って攻撃する。典型的なモラハラ男(義父と義妹の夫が。うちの夫はそういうことはしない)ですね」と云われ、腑に落ちた。
そして、「私は闘って勝ったのだ」と自分なりに落としどころを見つけた。
今は子どもを幸せにするのが、過去への復讐だと思っている。

IMG_20200114_164033_872
長女が描いた呪われそうな絵。