個展での出会い

直接、会期中にお会いすることはできなかったが、芳名帳に人間国宝の前田昭博さんの名前があった。
私の展示の前に友田恵梨子さんという若い日本画の方が個展をされており、その時に前田さんにお会いして話したので、覚えていてくれて来てくれたんだと思う。
友田さんは鳥取の人ではないんだけど、パートナーが陶芸家で、前田さんの窯の近くに窯を開いているそうだ。
そして、移住して鳥取で日本画を描かれているということだったが、モチーフは自然物が多いので、絵を描くのには良い環境かもしれない。
勿論、陶芸をするのにも。
以前、東京で版画科の先輩の個展に行ったら、同じ会場で展示されている人が大山で窯を開いていると話していた。
住所が私の親戚の木彫家の人の近くだったので、おや、と思って話しかけたら、鳥取に縁があるわけじゃないんだけど、一家で移住して暮らしていると云われていた。
陶芸やガラス、版画は創作する設備が必要になる(木版はバレン一個あればどこでもできるけど)。
今の版画はどんどん作品が巨大化していて、小さな作品は公募展などで並ぶと見劣りしてしまう。
小さな版画をコツコツ作るのも素敵だとは思うけど、大きな絵を描きたいっていう欲は自然と出てくるものだと思う。
その為には大きな版画が刷れるプレス機が、その版画を腐蝕したり製版するスペースが必要になってくる。
嫁ぎ先でどんなに嫌な目にあっても逃げなかったのはプレス機があったからかもしれない(笑)
いや、うそうそ。子どもと夫がいたから。
実際、あんなでっかいもの置くスペースなんてうちの実家や都会にはないもの。
あと、坂崎乙郎さんという美術評論家が「地方の作家は息が長い」と書いていたけど、じっくり真面目に自分の道を行きたい人には向いてるかも。
今年は3回、東京に行く用事があったけど、行く度に友だちに会ったり、展示を観に行ったり、映画を観たり、飲みに行ったり、買い物に行ったり、メインの用事より遊びに忙しい。
刺激も誘惑も沢山あるし、1年そこに行かないとすぐ取り壊されて新しい建物ができている。
友だちと渋谷で飲んでたら、若者ばっかりで(当たり前だけど)、リリー・フランキーが「毎年、4月になると地方から掃除機で吸い集められるように若い人が東京に来る」と書いていたのを思い出した。
面白い表現だな、と思ったのと同時に「ゴミみたい」とも思った。
都会の匿名性は気楽だけど、かつて東京に暮らしていた時、自分の変わりはどこにでもいるような気分になることもあった。
江戸時代の人返しの法令とか、今やった方がいいんじゃないのかっていうぐらい人口増加してる感がある。

 

話がズレたけど、こうして地方の作家さんに会うとみんなそれぞれ独自の哲学があって面白いな、と思った。
抽象画を描かれているフナイタケヒコさんには会期中、お会いできて、どうやって制作を続けてこられたか、とか、若い頃の活動なんかも聞けた。
フナイさんも前田さんもストイックな雰囲気の人で、ズルせず真っ直ぐ自分の制作に向き合っている。
そして、今回の展示はギャラリーそら賞の副賞で、もう一人の受賞者大久保つくしさんと出会えたことも良い刺激になった。
大久保さんは同い年で、やっぱり同じように小さい子を育てていて、子ども向けのワークショップを精力的に行っている。
大久保さんのワークショップの様子はインスタで見ているんだけど、洗練されていない子どもの作品はその時期しか作れないし、大久保さんのアイデアも沢山詰まっていてとても楽しい。
私は大学生の時、アウトサイダーアートが好きで、自分もそれっぽく描いたりしていたけど、そういうのを一度全て捨てて、自分の作品を作ることにした。
障がい者アートは今でも観たりするし、頼まれたら協力するけど、そこにどっぷり浸かりはしない。
今は自分を内省するような作品を作ろうと思っている。
色んな人に作品を観てもらうことはこれまでの成果を発表することだけど、そこからまた新しく考えさせられることが出てくる。
ずっと、いつ死んでもいいぐらい身軽なのがいいと思っていたけど、今の私は「重きを背負いて人は成長する。身軽足軽じゃ人は育たぬ」という言葉を胸にちょっと自分に負荷をかけて頑張ろうと思う。