向こう岸へ渡る。

研修でワークショップのサポートスタッフに入った。
午後から自分も制作してみた(それがこれ↑)
アクリルケースと舟の形のおかげで、どんな人でもそれなりの作品に見える(笑)
それと、自然物というのはそれだけで美しい。
私が魚とか花とかキノコとか人とか(人だって自然物)描いたところで、本物の存在感にはかなわない。
本物よりも良い絵が描けたら、それはそれで素晴らしいけれども。

 

このワークショップに参加していて、山に入って「何、拾おっかな~」とうろうろしている時に、ニュース速報が入ってきて(ネットニュースのアプリをダウンロードしているので、地震速報とか入ってくる)、三浦春馬が死んだのを知った。
ファンではなかったので、最初は「は?なんで?」ぐらいだったんだけど、それ以来、何故か悲しくて、「そうだ、これはずっと小さい時から見ていた親戚の子どもが死んだような感じなのかも」と思った。
あと、自殺っていうのは色んな要因があって、みんなアレコレ詮索するんだろうけど、ストレスとかプレッシャーとか不安とか過労とかハラスメントとか、そういう負荷がずっとかかり続けて、精神疾患にならないと選ばないことなので、周りの人は「早く気づいてあげれば良かった」と後悔する。
男性だと弱音を吐くのは恰好悪いと思うだろうし、女性だってずっと愚痴を言ってたら嫌がられるかも、と思って控えたりする人もいるだろうし(私の印象では女の方がぐでぐで文句言ったり、すぐリストカットしたりするような気がするけど)、周りはおろか本人さえも気づかない内に変になっていて、どんどん視野が狭くなってしまって、自分を失ってしまう。
真面目な人ほど鬱になりやすいってよく言うけど、真面目な頑張り屋だと「これぐらいできる」とか「みんなに迷惑かけられないから」とか思って、頑張り続けて、壊れちゃって最終的に一番大ごとを引き起こす。
仕事を辞めて周りに迷惑かけてでも自死は避けるべきだな、と思った。
あんなイケメンで何でもできる人だって病んじゃうんだから、心を病むのは別に恥ずかしいことじゃないんじゃないかな。
なんか、男の人はきっと強くないといけないって思い込んでる。
弱いからおかしくなっちゃうんじゃなくて、頑張ってたから病気になるんだと思う。
石田徹也という画家がいて、31歳で鉄道自殺したんだけど、たまたま私が31歳の時、工房でその人の画集を見ていたら、その日が命日で震えた。
石田徹也はひとつぼ展でグランプリを獲った画家で、ひとつぼ展ってデザイン系の公募展なんだけど(実際、ムサビの視デだった)、なんか意外な作品だな、と思った。
いい絵なんだけど、デザインっぽくなくて、これはファインアートだろうと思った。
すごくファンは多いんだけど、生前は絵で食べていけないからずっとバイトしていたみたい。そういうのっていくら才能があっても苦しい。
絵からしても、もう真面目そうだし、思いつめそうだもの。
もし、石田徹也が親からふんだんに仕送りをもらっていたら、もし、アパート一棟持ってて家賃収入があったら、もし、バリキャリのヒモで養ってもらえていたら、今でも生きて絵を描いていたかもしれない。
でも、そういうこずるいことができないから、ああいう絵が描けたとも言える。
だって、あの絵って日本の耐える男そのものだもの。
別に、男性に限らず女性だって我慢が美徳であると教えられるけど(誰に言われるでもなく、空気圧で)、クレーマーみたいな人とかいっつも喧嘩腰で文句ばっかり言ってる奴とか、そういう人には「ちょっとは我慢しろ」とか「現実を受け入れて、反省しろ」とか言いたくなるけど、あんまり死ぬところまで我慢するって良くないよね。
大爆発する方がまだマシというか、耐えて耐えてひょいと一線を越えるように死ぬ人っているから。
残された方はたまらないというか、答えが出ない(いや、むしろ出ているのか)問題を突きつけられて、尚且つ、それを伝える相手もいないんだから。
自分の子どもが「イジメられて死にたい」とか「仕事がハードで死にたい」とか言い出したら、もう即辞めさせようと決めた。
まぁ、その前に異変に気づける母親にならないといけないんだけど。