コロナが明けて、人の動きが活発になり、西日本にまで東京の知り合いが展示をし始めた。
まず、ボローニャ国際絵本原画展で入選した寺澤智恵子さんが兵庫で個展をされていて、それを家族総出で突撃。寺澤さんの絵は色んな図書館に展示され、私の地元の新聞にまで載る有様。私は昔の寺澤さんの絵を知っているので「こんなファンシーな絵が描けるの?」と驚いた。(10年前は廃墟とか迷宮とか描いていた)ちなみに、彼女は今、同じ工房の人たちから「魂を売った」と云われているらしい(笑)どちらの寺澤さんも魅力的だし、飾らない人柄も素敵だと思う。
そして、次は岡山で東マユミさんと東京の工房の人たちがグループ展をしていたので、それも家族で襲撃。子どもたちは絵を観るのも好きだけど、版画は安いから買えるということを知っていて、すぐ「これ買って」とか「ねぇ、これ買うの?」とか云ってくる。(そんなこと云われたら買わなきゃいけないじゃないか)
東京にいた時に通っていた工房のメンバーの作品は技術的にレベルアップしていて、大学時代の同級生の体たらくとはモチベーションが違うよなと思った。社会人になってから本当にやりたいことをやる人って熱量が違うから、働きながら牛歩戦術のように磨かれていく。
そんな感じで、夏に個展をして以来、色んな人の展示も観に行って懐かしい人たちとも再会できている。グループ展の誘いも時々あって、いくつか参加しようと思っている。
コロナがあっても、必要な人とはまた会うことができたし、遠ざかって行った人もいるけど、それは仕方ないと思う。スピリチュアルな意味に捉えられると困るのだけど、私は自分に危害を加える人が向こうからいなくなることを何度も経験している。つまり、それは私が迷惑を被っていてもなかなか自分から人を切れない人間だとも云えるけど、嫌だとか苦しいとかやめてくれとか、そういうことは主張できる。要するに、私はあなたのやっていることは間違っていると面と向かって云ってしまうことによって、相手がブチギレて私から去っていくということだ。そして、その一瞬は苦しいんだけど、後々考えると「すげーラッキーじゃん」っていう(危ない人と縁が切れて、そのあと本当に良い方に転がるから)ピタゴラスイッチ的な出来事なのである。
例えば、地元に帰ってきてから通った工房の先生に利用されて罵られてパワハラ三昧の後、工房に通えなくさせられても、プレス機をくれる人が現れたり、うちにプレス機置いて制作していいよっていう人と結婚したり、災い転じて福となす、みたいなこういう出来事が私の人生には沢山ある。そんな呑気なことを云ってないで、さっさと逃げろって話だが。
県展の開会式で地元新聞社の方にインタビューを受けて、自分の作品の説明をしたのだが、その翌日一面に全く私が云ってもいないことが書かれていた。こういうことはよくあって、雑誌の記者もICレコーダーすら持たずに来て、私が話した一部を切り取って物語を作るように記事を書く。さすがに、それはないだろう、と毎回思うが、こんなことばっかりなので、もうどうでもいいというか諦めている。私がライターをやっていた時は必ず録音してテープ起こしをしてから、記事にしたし、遠方の人で電話で取材をしなくてはいけない場合はメールにしてもらって、なるべくその人の言葉をそのまま記事にした。それでも、話が全然まとまらない人や日本語も英語も話せない人もいたので、資料を借りたり、自分で調べたりして記事にした。嘘は書いちゃいけない、と思っていた。小説じゃないから。情報を伝える為に書くのであって、自分の気持ちはや感想は関係ない。
その先述の新聞には私が子どもをモデルにしたことを「いとしさや愛情が伝わって欲しいと語った」と書かれていた。この時ほど、ペンネームで作家活動しておいて良かった、と思ったことはない。絵も観ずに、突然捕まえられてインタビューされて「版画用紙に雁皮紙という薄い因州和紙を貼って刷っている」、「作品は自分の娘にポーズを取らせてそれを原画にした」というようなことを話し、「子どもとか、猫とかってかわいいから受けるんですよ」と余計な一言を云った。これがいけなかった。「わかりました!かわいさといとしさってことですよね!じゃ!」と風のように新聞社の人は去って行った。それで、その記事である。実母に「そんなに自分の子が好きだなんて知らなかった」と云われ、大学の後輩にも「ミシマさんがこんなに母性爆発したこと云ったのかと思いましたよ」と云われ、ほんとうに恥ずかしかった。そして、雁皮紙のことは抜いて、因州和紙に刷ったとだけ書かれていたので、余白の白い紙を見て「どこが因州和紙?」と思った人もいたかもしれない。いや、誰もそこまで見てないだろう。どうせわかりゃしないんだ、というやさぐれた気分になる。口先だけうまい作家がベラベラと嘘を喋って、それが記事になっているのすら見たことあるもの。私はこういうのおかしいよって見抜くから、ヤバイ奴からブチギレられるんだけど。
この経験で一つ思い出した話がある。村上春樹の「ステレオタイプ」という超短編だ。30年位前に読んだので何に収録されていた話か不明だが、雑誌のインタビューを受けに行ったら、記者の女性が録音する機械を忘れた所から話が始まる。「大丈夫です!私すっごく記憶力がいいんです」と云って、話を進める。インタビューされている作家が毎朝運動をしていることを話すと「何をしているんですか?」と訊かれ「マラソンしているんだ。別に下着泥棒をしているわけじゃない」と答えた。「アハハ、そうですよね!」と云って、話は終わって、後日記事になったものを読む。「毎朝マラソンをしています。下着泥棒みたいなもんですよ、あはは」と書かれていた。
村上さんはインタビューとかあまり受けない人で、他の作家が対談とか申し込んでも断られたり、メディアにあまり出ない人で有名だけど、それも一つの自己防衛ような気がする。
グループ展も誘われたら、節操なくやるわけではなく信頼している仲間とか画廊じゃないとやらないようにしようと思う。以前、画廊側からグイグイ誘われて、いいですよと返事をして、その期日までに希望のサイズ通りに作り終わったら、「〇月のやつじゃなくて、〇月のやつですよ。ミシマさんが個展があるからって云ったじゃないですか」とこちらの所為にされたこともある。DMに名前すらないし。さすがに、これは失礼じゃないだろうか。安易に、よく知らない人の頼みを聞かない方がいいんだな、と思った。
逆に10年ぶりだけど、全然変わってなかった東さんたちはすぐに信頼できた。コロナ明けて再会した人の中には、かつての東京の工房の仲間の他に、大学の同級生や予備校時代の友だちもいた。19才の時に別々に進路に進んで、その後気になっていたけど、会うことのなかった友だちに会うことができて、その後お気に入りだという蜜柑を送ってくれた。苦しい時に一緒だった彼女が送ってくれた蜜柑は甘酸っぱかった。