極小版画展のお知らせ

 現在開催中の文房堂極小版画展に出品しています。今年度は中原中也の詩の世界というテーマです。私は中原中也の「月」という詩をイメージして制作したリトグラフを出しています。
場所 東京都千代田区神田神保町1-21-1文房堂地下1階
期間 2月15日~3月29日
HP http://www.bumpodo.co.jp/

 文房堂は文房具の語源になったお店らしいのだが(要するに、文房堂で売っている道具だから文房具というようになった)、今は画材中心というか、主に版画用品のお店になっている。文房堂オリジナルの銅版インクもあったりして、それが結構安くて助かった。安くて、といっても、シャルボネに比べたらという感じで、そんなにすごい安いわけではないけど。銅版に使うインクはフランスのシャルボネというインクが有名なんだけど、輸入品なので高いし(1本4000円~8000円くらいする)カタログを見て欲しいなと思う色が日本に入って来てなかったりする。今は他の国のインクも入ってきているけど、私が大学出たばかりの頃はシャルボネか文房堂しかなかった。だから、比較的安い文房堂インクがあって20代の頃は助かったな、という思い出がある。
 あと、神保町といえば古本の街である。10代の私は文学少女であり、美大を目指す少女だったので、上京した際には原宿に買い物行くのではなく神保町の古本屋を巡っていた。小説だけでなく、画集が充実した本屋、歴史専門、洋書専門と古本屋も店によって特色があり、そういうのを教えてくれた予備校の先生もいた。今みたいにネットで画像検索すれば資料が見られる時代ではないので、画集や写真集を購入して、色彩構成の参考にしていた。今考えるとすごい労力だけど、そうやって本屋から本屋へ、本から本へと渡り歩いていると、自分が探していた何かではない、他のお宝を見つけることがある。そういう偶然(運命?)の出会いによって、私は色んな画家の作品を知ることになったのだし、文房堂にも立ち寄るようになった。
 今でも文房堂に画材を買いに行くと神保町をうろうろして本を買おうとしてしまう。本は殆どネットで買うようになって、本屋自体に行かなくなっても、古本屋は何か出会いがあるのではないかと今でも期待してしまう。それは前の持ち主はゴミとして捨てたのではなく「売ろう」とした時点で価値があるのかもしれない。それが太宰治の初版本とかそういうわかりやすい価値のある古本じゃなくても、持ち主にとって「もう読まないけど、すごくいい本だったな」と思える本だったかもしれない。そして、それを別の世代の人が「こんな本があったんだ、面白そうだな」と手に取る。それはもう絶版になっている本かもしれない。今、本はKindleでもAudibleでも読めるようになったけど、紙という物質を通して、古本は人から人へ伝わったコミュニケーションツールだったのかもしれない。

 話は変わって、物語を読む能力というか、ストーリーを理解するのにも才能が必要なんだな、と思った出来事。私の子どもA子(長女)は演劇とか映画とかが好きなので、3才ぐらいからラプンツェルに感動し、アナ雪や鬼滅にハマり、バレエを2時間座って鑑賞することができる。A子よりも普段落ち着きがあり、物わかりのいいB子(次女)はすぐ飽きてグネグネ体を捻り出す、もしくは寝る。C太(長男)は2時間じっと観劇するのは無理。まだ保育園児だから、仕方ないことで、高校生でも大学生でも、男子は「2時間映画館にじっとしてるのが無理」とか云う人はいる(いや、いた)。慣れだと思っていたけど、幼少期からA子の集中力と理解力を見ているので、得意不得意に分かれるんだ、と気づいた。A子は6才ぐらいから割と長い本でも漫画でも読めるようになって、それが結構な集中力で、夫が「呼んでもA子が返事をしない!」と怒っていた。過集中の特性があるのか、読解力の才能があるのかわからないけど、子どもの中で長い本を読んだり、演劇を観てストーリーを理解するのはこの人だけ。
 しかし、A子は理解しているんだけど要約するということを知らないので「あるシーン」を説明するのに、1から10まで説明するので話が長い。「要約しろ」と云ってもまだ難しいし、「結論を先に云え」と云っても面接・小論文指導みたいだし、どう云うのが彼女にとってわかりやすいかわからない。風呂に入っている時などに説明が始まるとのぼせそうになるので「ママ、観てないからわかんない」と云って逃げていた。そうすると、「スパイファミリーもハリーポッターも知らないなんて、ママ、一体何だったら知ってるの?」と云われた。そうじゃない、わかりやすく喋ってくれたら聞けるんだ・・・。物語を理解する能力と物語を人に伝える才能は別物、ということがA子によってわかった出来事だった。

本が沢山ある理想の屋根裏部屋を描いた小作品のエッチング。