昨年、砂丘社に入りませんか?というお誘いがあり、知り合いの先生が何人もいたので何の警戒もなく砂丘社のメンバーになりました。警戒ってなんだ、と思われそうだけど、こういう団体?やグループに「出品しない?」と云われ、何も考えず出すと、変な人たちの一味だと思われたりすることがあるので。私が知らないだけで派閥や仲間あるみたいで、面倒臭いことに巻き込まれたりするらしい。「そんなん知らんがな」と私は今までソロ活動をしていたのだけど。
今回出品予定の砂丘社というのを調べてみたところ、倉吉市出身の中井金三さんという藤田嗣治と大学の同級生の洋画家が河本緑石(この人も宮沢賢治と大学の同級生で俳人)と一緒に立ち上げた芸術団体らしい。中井金三という人も河本緑石という人も高校の先生で、河本緑石は溺れた生徒を助けようとして海で亡くなったらしい。中井金三さんは前田寛治を指導したり、退職後は庭に薔薇を育てて、それを油絵に描いたりして長生きしたらしい。なんか、昔の文学者って短命で、画家って長生きっていうイメージそのままだ。教え子の前田寛治は短命か(癌で33歳で死んでる)
しかも、中井金三先生の教え子の中に私が高校生の時に習った画塾の先生の名前もあり、すごい歴史を感じた。私が高校生の時、定年退職したおじいちゃん先生が自分のアトリエで画塾を開いていたのだけど、結構な偏屈じいさんだったような気がする。いや、真面目なのよね、きっと。なんか、昔の先生だからなのか、画家としてプライドが高すぎるのか、生徒の対して「なんで、こんなことできないんだ」っていうオーラ全開だった。美大予備校とかではなく、普通の主婦が趣味で油絵を描くようなカルチャーセンター的なところで何故か、ハタチくらいのお姉さんと親に無理矢理連れて来られてる小学生までいた。私は「なんか、絵が古臭いし、先生とオジサンたちは喧嘩してるしやだな~」と思って、東京の美大予備校の夏期講習や通信教育を受けることにして、その画塾は1年でやめた。
そして、そこにいたお姉さんはずっと油絵を続けていたらしく、去年県展で声をかけられた。なんと!びっくり。時々、色んな展覧会でお名前を見るので「すごい、この人まだ続けてるんだ」と思っていたけど、継続は力なり。多分、美大とか行かれなかったと思うんだけど、すごくうまい。おじいちゃん先生自体が写実なんだけど、結構タッチを残す書き方で、その独特なタッチで「あ、これあの先生の絵だ」ってすぐわかる。そのお姉さんの絵も写実なんだけど、細密描写をしていて、まるでホキ美術館にある超写実的な絵に近い。あ、画塾はやめてしまったけど、先生の絵もそのお姉さんの絵も私は好きです。高校生の時「古臭いな~」と思ったのは石膏の白さを全く感じないゴリゴリの木炭デッサンのことであって(結構絵に手を入れる先生だった)、別にその先生のことは嫌いではありません、念の為。
私はその当時、グラフィックデザインに行こうと思っていたので、方向性の違いもあった。バンドがよく音楽性の違いで解散するけど、アーティストが4人集まって一つのことができるのが奇跡だと思う。東京藝大を出て、パリに行って絵を描いてたけど、日本に戻ってきて生活の為に美術の先生になって、みたいな時代の人と「東京に行ってー、デザイナーになってー、CDジャケットとかデザインしたいなー」と云ってる高校生が合うわけない。今や教材研究くらいでしか油絵は描かないのだけど、時々その先生の絵を見かけると「意外といいな」と思ったりする。そして、山枡先生「あんたみたいな中途半端な小娘に云われたくないわ!」と天国で笑いながら怒っているだろうな、と思う。画塾にいたハタチくらいのお姉さんも砂丘社のメンバーなので、きっと私と谷繁さんがこうやって制作を続けて、同じ展覧会に出品するのを喜んでくれているはず。
期間 3/20~3/26
場所 百花堂(倉吉)