「キヨシローにあこがれて」という歌があるけれど、我々の一世代上の音楽好きは忌野清志郎に憧れている気がする。
そして、我々の一世代上の絵を描く人たちは池田満寿夫に憧れているように思う。
というか、生きている時に交流があった人とかもいる。
だが、私が知っている池田満寿夫は既に伝説の人化していた。
「すごい、こんな人だったんだ!」と全貌を知ったのが、死んだ時だった。
私が高校生の時、池田満寿夫はいきなり死んだ。
それまで、テレビに出ているもじゃもじゃ頭の変なゲージュツ家だと思っていた。
今となっては信じられないけど、私が小学生の時、ほんとに池田満寿夫がクイズダービーやら世界不思議発見に出ていて、山田邦子が「よ~こ~」(佐藤陽子さんを呼んでいる)とモノマネとかしていたのだ。
だから、私が高校生の時に満寿夫が死んだ後、「こんな人生で、こんな作品を生み出した人です」という追悼番組で初めて全体像をザックリと知った。
その後、たまたま従兄の本棚に「エーデ海に捧ぐ」や富岡多恵子の本を発見し、私はどんどん満寿夫が好きになった。
生き方も、作品も、女関係も鮮やかで、透明感があるのに、尖っている。
その後、私はたまたま銅版画を続けることになり、「銅版画って何?」と訊かれる度に「日本人のアーティストだったら、池田満寿夫とか山本容子とかがやってるやつだよ」と説明している。
そこまではいい。
私はある程度、人に合わせることもできるし、他人のいい所を認めることもできる。しかし、あまり既存の作家に影響されたくない。私は私の作品を作り続けたい。
銅版画をやっていると、人生に満寿夫がつき纏っていて仕方ないのだ。
満寿夫は恰好いい。エリートじゃない、イケメンじゃない、でも、カリスマ性がある。そこが男性にも憧れられる理由だと思う。芸大落ちてる人がベネチアビエンナーレで大賞獲ったり、芥川賞獲ったり、ニューヨークで個展やったりした。田舎から出てきて、何も持ってない男が才能だけで、のし上がっているように見える。
私が26~32歳まで通っていた新宿の工房には満寿夫の版画が飾られていた・・・。
今年の夏、個展を開催したギャラリーのオーナーは元・電通の社員で池田満寿夫の「般若心経IN清水寺」というイベントをプロデュースした人であった。
別に、池田満寿夫に憧れて版画科に入ったわけでもないのに、大学でも教授陣は酒を飲むと満寿夫の話をしていた(多摩美の版画科の教授に来ることが決定していた矢先に満寿夫は死んだ。だから、もう少し長生きしていたら、私は教わっていたと思う)。
どこに行っても「満寿夫、満寿夫」である。
私は満寿夫に呪われているんじゃないか・・・とすら思えてくる。
そもそも、生まれる前から呪われている。
私の名前を何するか決める時に、父親が音だけ「サオリ」に決めた。母親が姓名判断の本を買ってきて字画を調べて「沙織」だと良くなかったので、糸偏に変更したらしい。
ちなみに、「紗織」だと大凶である。
「病弱で、人に誤解されやすい」と書いてあった。当たっている気がする・・・。
何故、その名前にしたのかというと、母は下の名前の「紗織」の画数ではなく、総画数で決定していたのだ。
当時、母が参考にした野末陳平の「姓名判断」の本を開くと総画数45の有名人に池田満寿夫と書いてあった。
母よ・・・私は女なので嫁にいったら姓が変わるのですよ。
しかし、折角、池田満寿夫と同じ画数にしてもらったのだしなぁ、と思い、今後、嫁にいくことがあれば、プライベートでは夫の姓を使い、「三嶋紗織」の方は雅号として使おうと思っている。