境港のにある「一月と六月」という本屋さん(雑貨屋さん?)で大橋歩さんのブランドa.(エードット)の展示会をやっていたので見てきました。
50代が着る素材がいいシンプルな服、というテーマらしいのですが、コムデギャルソンみたいな感じの服でした。
私は好きだけど、こういうのって男受けしないよね、と思って、ふと、自分はいつから他者の視点(というか、異性の視点)も同時に考えるようになったのか、と気づきました。
元々は自分が好きな恰好をする、自分が好きなことをするゴーイングマイウェイな人間だったはずです。
高校生の時、女子高生ブームで田舎なのに周囲が一気にコギャル化した時も「汚らしい」と冷めた目で見ていたはずです。
スケッチブック片手にボーダーのくつ下とチャップリンみたいな靴を履いて、赤いタータンチェックの鞄を背負っていた私をきっと同級生は同じように冷めた目で見ていたかもしれませんが・・・
「あの子、何かにかぶれているよね・・・けど、何なのかわからない」と。
私はオタクでもなく、ギャルでもなく、ヤンキーでもなく、オリーブ少女だったのです。
オリーブはフランスの女の子みたいなイメージですが、私はイギリスのスクールガール的な・・・的な?恰好をしていました。多分。
高校に仲間はいませんでした。
別に、孤独だったわけではなく、友だちはいたけど、趣味を共有できる人はいなかった。
映画を観たり、文学について語ったり、絵を描いたりする子はいなかった。
美術部はオタクの巣窟で、私がフリッパーズギターが好きだとわかるとコーネリアスとオザケンのBL本を勧めてきた・・・何かが違う。
その当時、オタクは迫害されており(オタクが市民権を得たのは電車男以降だと思う)、マイノリティーな存在だった。
私は彼女らともギャルの人たちともフツーに喋っていたけど、違和感を抱いていた。
もっとも遠い存在に感じたのはヤンキーである。
ヤンキーも少数だが、生息しており(田舎だから?)、親しくないのにガンガン絡まれて(人類みな兄弟的なアクティブなヤンキーだった)、そして、私が自分たちとは相容れない人種であるとわかるとフェイドアウトしてくれた。
オタクはリビドーを内に向けるが(二次元や二次創作に)、ギャルやヤンキーはどこまでも外に向かって、現実的に歩んでいく。
その姿が自分とは対照的だった。
ヤンキーは夢の中の憧れの異性ではなく、隣町で肉体労働をしている1つ2つ年上の男とつき合う。
彼女らからは周りの女の子よりも自分は進んでいるのだ、という優越感が滲み出ていた。
私は「何故、そんな男で手を打つのだろう?」と思っていた。
私は鳥取で高校に通いながら、フランス人のモデルが表参道を歩いたり、オザケンがエッセイを書いたり、市川実和子が安藤政信がデートしたりしているオリーブを熟読していた。
現実なんて見たくもなくなるでしょう、それは。
「さっさと東京に行きたい」
その一言に尽きました。
しかも、美大予備校の講習を受けに行ったら、ヤンキーはおらず、ギャルやオタクも少数派!
話も通じるし、みんなオシャレ!
そうかー、自分はこういう感じなんだ、と腑に落ちた。
あの当時の自分をカテゴライズすると、ただの「サブカル」です。
不思議ちゃんでも変態でもなく、単なる「サブカル」だから、仲間がいそうなのに、高校にそういうジャンルの人がいなかった。
おそらく、カルチャーがどこにもなかったから、それを愛する人種もいなかったのだと思われる。
私はない所でも探して、一人で享受して(一緒に分かち合う人がいれば、もっと良かったのだが)楽しんでいたのだと思う。
それを熟成させること20年、より理解されがたい趣味の人になってしまったように思う。
多分、結婚できたのは自分が大人になって、「趣味嗜好は合わなくても良い、一緒に生活できる人にしよう」と割り切れるようになったからだと思う。
10代、20代の時は本気で結婚する人は「趣味が合う人」で、なおかつ「自分の好み」の人がいいと思っていたが、そんなものはいない、とわかった。
ツチノコを探しているようなもので、そもそも「自分の好み」の男性はおそらく、生活力がない。
(自分の好み=屋根裏部屋で哲学書を読んでいるような屈折したインテリ)
その理想のナントカさんを20年ぐらい探している間に他の異性とつき合ったが、何故かオレ様系が多かった。
おそらく、私が若い頃、繊細そうな雰囲気だったので(喋ると全く違うけど)、与し易そうに見え、そういうタイプの男性ばかり近づいてきたのだと思う。
しかし、そういう男性は変わったことを嫌うので、型に嵌めたがるというか、服装もコンサバっぽいのが好きで、JJでもCancanでもなくMOREなのである。
絶対、オリーブではない(笑)
みなさん、女子アナよりちょっとダサい恰好(攻撃力のない、男子が安心する感じの服)を着てる女が好きなんですよ。
そういう女性像をこちらに求める男性はつき合っていて、正直しんどかった。
そうはなれないから。
一月と六月で服を買わずに「オリーブの罠」(酒井順子)を買って帰った。
「懐かしいな、オリーブ」と思いながら読んで、夫が私の格好や生き方に何も言わない人で良かった、と思った。