ブロッケンの妖怪

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「ブロッケンの妖怪」という舞台をやっていたので観に行きました。
ブロッケン現象とは霧の中に現れる御来光のことです。
その中にもう一つの世界があるというストーリーでした。
向こう側は向こう側で時間が過ぎており、向こう側にはもう一人の自分がいるらしい。
という結構自分好みの話でした。
私は幼い頃、不思議な話が好きで(心霊現象好きだと思われ、よく幽霊系の本を買ってもらったが、それとはまた微妙に違う)ドッペルゲンガーなどを信じていたりしました。
せめて、サンタクロースにしとけばかわいいものを・・・(笑)
ファンタジーは興味なかったけど、神秘的な話や超常現象とかが好きだった時期がありました。
これ以上、書くと危ない人に思われそうなのでやめますが、子どもの時って科学では説明がつかない何かを容易に信じてしまう危うさが誰にでもあると思うのです。
また、そういうものがあると思ってこの世界に畏怖の念を抱いて生きている方が図に乗らないで生きていけるような気がするのです。
何でもかんでも人間の好きなようにできると思ったら大間違いなのです。
それをユーモラスな形で教えてくれた妖怪の親玉、水木しげるさんが先日亡くなりました。
水木さんも神秘的なものに惹かれ、「神秘家列伝」という名作を残しておられます。

 

私の祖父は水木さんと同じように鳥取で生まれ、戦争に行き、生き延びて帰ってきて、東京で亡くなりました。
戦争が終わり、傷ついた兵士は一旦東京に集められたそうで、鉄砲隊の隊長で頬に銃弾を食らったうちの祖父も例外ではありませんでした(顎から弾が抜けたので助かった)
戦争体験をした人の話を聞くと、いつも祖父のことを思い出します。
祖父は水木さんよりも10年上で、10年間戦争に行っていたと聞きました。
祖母は看護師だったので、従軍看護師に駆り出されていたらしい。
二人とも苦労したのだな~と思うのですが、その割には報われない人生だったように思えます。
祖父は東京に行った後、働きながら大学を出て、高校の教員をやっていました。
定年退職後も水泳の指導員をやっているとか何とか言って、結局鳥取に帰ってきませんでした。
祖母は鳥取で看護師をやったり、保健の先生をやったりして、70ぐらいで死にました。
家族はずっとバラバラに過ごし、祖母の死から10数年後、祖父は東京で孤独死しました。
戦争で生き残って帰ってきて、その後も真面目に生きた人たちなので、もっと幸せな死に方があっても良かったんじゃないか、と思うのですが・・・。
そう考えると、水木さんは超ハッピーなんじゃないか、と思えてきます。
画家や紙芝居がダメでも、漫画に活路を見出し、アニメ化されて、晩年には自分の人生が朝ドラになり、地元では鬼太郎ロードが作られ、「水木さんのお陰で地元が潤いました」と感謝されるという・・・。
水木さんはよく色紙に「なまけものになりなさい」なんて書いているけど、ほんとうの怠け者がこんなに成功するわけはありません。
沢山苦労がありながらも、好きなことから離れない水木さんはすごい精神力の持ち主だと思うのです。