先日、北斎のことをちらりと書きましたが、その時期に東京では上野の東京都美術館で伊藤若冲生誕300周年記念展が開催されていたようです。
ゴールデンウイークを挟んでいたこともあり、大変混雑していたそうで、外で並んでいる方に熱中症予防で日傘が配られたそうです。
これを聞いて「若冲ってそんなメジャーだったっけ?」と思う人もいると思うのは私だけでしょうか?
20年ぐらい前は知る人ぞ知るすごい画家、というような位置づけだったように思われます。
日本美術史を勉強した人は勿論知っているのですが、一般的に知られるようになったのはジョー・プライスのコレクション展が開かれるようになってからのような気がします。
あと、辻惟雄さんの著書によって知った人も多いと思います。
辻さんは日本美術史の研究家で私が学生だった時の学長でした。
在学中は「たれパンダに似てるな」ぐらいにしか思っていなかったけど、著書がとても面白くて、特に「奇想の系譜」は必読です。
伊藤若冲は京都の青物問屋を継いでいたのですが、40歳の時に隠居して、山奥にこもって絵を描き始めて(酒も飲まず、結婚もせず)、正に仙人のようにストイックに絵を描き続けたのです。
そうやって描かれた絵は家族の供養に相国寺に寄贈されたそうです。
死後も自分の絵が保存されることを期待してそうしたのかもしれないけど、高級な顔料をふんだんに使った絵を先祖供養の為に寄贈するというのは無欲な感じがしますね。
だから、私は若冲という人は野心のない、ただ純粋に自然を観察して絵を描き続けた異端の画家だなぁという印象でした。
若冲展をテレビで紹介されるようになっても、ずっと「若冲は自分がこんなにフューチャーされるのは望んでいなかったのではないか・・・」と思って見ていたのです、が!!
そのテレビ番組で「若冲はこう言っています。千年先の人たちにこそ、私の絵は理解されるだろう」と続いたので、驚きました。
若冲の欲は「良い絵を描きたい」ということだけだと思っていたけれど、承認欲求だってちゃんとあったのです。
それも、自分の半径3mの人に認めさせたいなんてみみっちいことは言わない。
時空を超えて、現代の私たちに見せてくれるのです。
奇想のビジョンを。
こんなセンスのいい木版画も作ってます。