闘病記

「くも漫」(中川学)と「蘇る変態」(星野源)を読んだ。
両方共、くも膜下出血で倒れて手術をして完全回復した人の話だった。
癌とかエイズとか、死を意識せざるを得ない病気は勿論怖いけど、くも膜下出血なんていつ何時起こるかわからない病気も怖い(しかも、予防策がない)
くも膜下出血で倒れた人の3分の1は完全回復するが、あとの3分の1は後遺症が残り、残りの3分の1は死ぬらしい。
だから、この二人はラッキーな方で、「くも漫」の人なんて漫画のネタにして、それが映画化するんだから回復して作品に昇華できて良かったね、という話である。
ただ、この人はススキノの風俗店で発症してしまい、後々それが親族にバレ、小学校の臨時講師も他の人に取って変わられて無職に戻るというダメさ加減。
しかし、ネタとしてはそこがなければ全然面白くない。
「人間仮免許中」(卯月妙子)で卯月さんは歩道橋から飛び降りて、顔面崩壊した後の顔を鏡で見て、右目がワンブロックずれていて「もらったー!」と思ったらしい(視神経が切れて片目失明したのに)
それと同じで、人として恥ずかしいことや異常なこと、フツーでは起こらないことが身に起こると自分の中のピエロが「人に話したら面白がってもらえるかも」と思ってしまう変なサービス精神の持ち主は一定層いるらしい。
それを人に伝えるには面白おかしく漫画に描くとか、人を引き込む話術があるとか、エンターテイメントの能力が必要だが。
じゃないと、ただの暗い話になってしまう。

 

私がバセドウ病で入院したり、手術したりしたのもこの二人が発病したのと同じ30歳の時で、ある日突然一気に病気が噴き出した感じだった。
30歳になるとそれまでの膿が出るらしい。
大学1年生の時、眠れなくなったり体重が1年間で8㎏減ったりしたことがあり、振り返ればその時から兆候があったのだが、20代は何も気にならなかった。
30歳の春ぐらいに知り合ったカメラマンに写真を撮られた時、じっとしていても手が震えてると指摘された。
その時には不眠に加えて手の震えと異常な量の汗、下痢、眼球突出がひどくなってて、病院に行ったら機械でエラーが出る程、甲状腺ホルモンが分泌されてた。
暑くなっていく季節の中で、医者に「熱帯夜とかね、熱がパーッと上がって命持って行かれちゃうこともあるから気をつけて~」と言われた。
え~と、一体どうやって気をつければ・・・?
しかし、その後すぐにホルモンを抑える薬による薬害で肝炎になり、入院して甲状腺を手術して半年ぐらいで片がついた。
その間、ずっと一人で東京の病院に入院していた。
紹介してもらった病院に入れなくて、倶利伽羅紋紋の入れ墨を入れたヤクザと死にそうな老人しかいない野戦病院みたいなところに回されて、薬害だって言ってんのにウィルス性肝炎の治療をされて悪化して、「じゃあ、自己免疫性肝炎かな?」って、肝生検もしないままステロイド剤を使われて、結局原因がわからなくなってしまったり、バセドウ病が診れないからって入院中に外の診療所に行かされたり(そこの先生が治療方針に疑問を持って、診察中に入院中の病院の医院長に電話をかけて喧嘩をして、その野戦病院から出ることができた)、もの凄いギャルメイクの汚い茶髪の看護師に怒られたり(弱っている時に嫌いな人種に上から目線でキレられたのが嫌だった)、夜中に今にも死にそうな骨と皮だけのバアサンが隣でうめき声を出していて「大丈夫ですか?!」と声をかけたら「学友と戦争中に火の中を逃げた夢をみた」と言われた寒すぎる夏・・・。
それまで、私は経済的にも精神的にも自立していると思っていた。
大学時代の友人は親にマンションを買ってもらったり、海外旅行も親の金で行ってたけど、私は違う。
海外旅行も自動車学校も引っ越しもアパートの更新料も個展の費用も全部自分で払った。
鳥取から上京した中高の同級生は社会人になるとお金が足りなくなって、テキトーな男に寄生してそのまま同棲してなし崩し的に結婚していたが、私は違う。
私は男に頼らず全部自分でやってきた。
が、入院して「全部自分でやるのはやめよう」と思った。
星野源も倒れる前のエッセイ「働く男」では「女にモテたい。金を稼ぎたい。過労死しても構わない」と書いていたけど、くも膜下出血後は考えを改めたらしい。
「病気が教えてくれた」なんて、ただの負け惜しみで、病気にならないならならないで、健康な方がいいじゃん、と思っていたけど、病気が教えてくれることは確かにある。
神様が「このままでは破綻するから、これまでの考え方を改めてごらん」と言って、休憩をする為にその人から一旦全てを取り上げるのだ。