年明けに年配の知人の女性が亡くなって、お葬式に行った。葬儀場で個展をされていて(家族が展示した)、葬儀もお坊さんがお経をあげるのではなく、息子が司会をして自分の母親の写真をスライドで見せて、まるで結婚式みたいだった。病気がわかって、よく調べたら100人に1人の珍しいケースで、本人が手術しないことを選んで、あっという間に亡くなったので、顔もすごく綺麗で寝ているみたいだった。私の隣の人なんて「仏様みたいだわ」って云っていた。亡くなる4日前にlineが届いた人が見せてくれた写真では終末診療所で杵を持って餅つきをしていた。辛い治療をするより、足掻かずに自然に任せて、最後まで楽しく過ごすことを選んだっていい。潔くて、その人らしいけど、私は故人にはいつでも会えると思っていたし、大好きな人だったし、母が同じ病気で闘病しているので、すごく悲しかった。うちの母より10才くらい若い方だったけど、子どもが同世代なので「鳥取に帰ってからはあちこちに出かけて、娘みたいな年の人と友だちになったのと云っていた」とダンナさんが云っていた。私のことを友だちだって思ってくれていたら、とても嬉しい。ダンナさんが定年退職後に鳥取に移り住んで、写真をやったり、絵を描いたり、染色をされたりしていて「そんなにあれこれ手を出していいの?」とダンナさんに訊かれ「いいの、全部繋がっているから」って云われていたそうだ。私も、版画のワークショップでその方に出会って、それから何回かお宅にお邪魔させてもらった。イギリス風の庭にはつるバラが咲き誇り、白いテーブルにダンナさんがパラソルを立ててくれた。「パラソルが似合う方が来てくれたわ」と云って、アフタヌーンティーのケーキスタンドにゴディバのチョコを入れて持って来てくれた。二人のサラッとしたおもてなしに、
何ここ?天国?私死んだのかな?
ってぐらい驚いた。「いいな~、素敵だな~、こんな生活してみたいな~」と、当時鳥取に帰って来たばっかりで非常勤でお金もなくて、知り合いも少ない私はボヘーッと羨ましく思っていたのだった。でも、その庭は自分たちで手入れして、ケーキスタンドもいい匂いの紅茶もその人が選んだのだ。ついでに云えば、「何でも自分でできて手がかからない」と云っていたダンナさん(元大学教授)を選んだのも、自立している子どもを育てたのも、その人の功績だ。私は単に、運が良かったとか恵まれていたとか思わず、この人はセンスがいいんだ、と思った。でも、全然尖ってないし、いつもにこにこしていて、個展を開くとお菓子を持って「ミシマさーん」とひょっこり現れる、そんな奥さん。(持って来てくれたお菓子もおいしかった。あー、お礼の手紙とか書けばよかったな)
お葬式では、弔辞で「あなたのようになりたい」と云った人がいた。いつも笑顔で、優しくて、自分の好きなことをやって、次は個展をしようって目標も見つけて、良い友だちを作って老後を楽しく過ごして、あっという間にいなくなってしまった。恰好いい去り方すぎて、私には真似できないな、と思った。