アウトサイダーアート

今、鳥取で全国障がい者芸術祭というのをやっているのですが、その昔、私はアウトサイダーアートにドハマリした時期があったので、楽しんで色々観ています。
アウトサイダーアートが大好きだった時期とは大学生の時期で、制作する環境としては一番いい環境なのに、私はアウトサイダーアート的な絵を制作し始めてしまって、今となっては「ほんとうの自分の絵を描くべきだったのではないだろうか・・・?」と思ったりもするのですが、そんなこと言っても、その時期はそういうのにハマっていたのだから仕方ない。
作家は何かにインスパイアされて制作するのが多いのですが、例えば、音楽とか自然とかにインスピレーションを受けて描くならまだしも、私はアウトサイダーアートですからね。
それっぽく描いても、ほんものにはかなわないじゃないですか。
そのことに大学卒業する頃、ようやく気がつきました。
例えば、ルイス・ウェインという猫を描いていたイラストレーターで、統合失調症を発病後、絵が紋様みたいになっていった人がいるんですが、そういうのを描こうとしてたわけですよ。ざっくり説明すると!
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↑こんな感じで絵が変化していったようです。
元のファンシーイラストみたいな猫を描いてるおじさんだったら、何も興味持たないのですが、発病後の絵はすごいですよね。
その他、アドルフ・ヴェルフリとかヘンリー・ダーガーとか挙げていくときりがないのでやめますが、アウトサイダーアートの作家には他のアーティストにはない鬼気迫るものを感じたのです。
「描かずにはおれない」というような。
なので、絵画療法を講義していた心理学ゼミに毎週通い(授業が朝早いのと英語のテキストばっかりだったのでどんどん生徒がいなくなったという)、障がい者施設で制作している風景を追ったドキュメンタリー映画を一人で観に行き、アフリカの絵画とかそういう展示を調べて観に行き、果ては精神疾患があるような絵を描いてみたり・・・という大学生活を送っていました。
しかし、アウトサイダーアートの殆どは何も狙わず描かれたものだから、作家としてそこから何かを得ようとするのは難しいわけです。
何故、そこから学ぼうとしたのだ、と過去の私に問い詰めたいです。
単純に、私は浪人してるので、王道に疲れただけなのかもしれません。
だからって、極端な方向に走りすぎだろ、という感じですが、その当時は「こんな世界があるんだ、面白いな」という感動だけで、突っ走っていました。

さて、そんなアウトサイダーアートに魅了された私ですが、やはり今、観てもなお自閉症児の細かい作品などは他のどの絵画とも違うものを感じます。
今、正に鳥取でやっているアール・ブリュット展などはそういった障がい者アートです。
多分、アウトサイダーとかつけると「社会的アウトローなのか?」と知らない人は思ってしまうからかな?(アール・ブリュットはフランス語で「生の芸術」という意味)
私はアウトサイダーアートという呼び名が恰好いいと思って使ってますが、障がい者芸術はアール・ブリュットとかエイブル・アートとかパラ・アートとも呼ばれています。
10月5日~13日まで開催される「くらよし・まち・アート」では白壁土蔵群にあるお店で展示やワークショップなどが行われます。
ワークショップのお申し込みなどはCOCOROSTOREさんで受け付けているそうです。
アウトサイダーアートに触れながら、自分の作品も作ってみてはどうでしょうか。

COCOROSTORE